「夢と夢」
今回は2つの意味の夢について書きます。
【夢≒希望に対する私の姿勢】
夢は叶わないもの、そして叶えたくないもの、叶えてはいけないものと、悲劇的な立場をとってしまいがち。
理由は5つ。
夢を叶えられないのは○○のせいだからと外部要因にしておけば、思考を浅くして生活ができ、何より楽だから。
夢を見て努力した時に露呈する自分の非力さに直面し辟易するから。
夢が叶うと次の夢を設定するのが大変であるから。
夢が叶い希望を持つと、失った時の絶望も大きくなるのを知っているから。(→ここはタナトフォビアに繋がる考え方)
その夢はなぜ叶えたいのかと双極性障害の自己を疑ってしまうから。『この願望は躁状態だからかな?』と。
【夢≒睡眠中の観念に対する理解】
2つの説を肯定している。
1つは一般的な、自分の脳をデフラグ(整理)するための生理的反応。
その日起こったことや寝る前の感情が夢に反映されることもあるのでこれは納得感がある。
また、正夢や、親族が亡くなった際、夢枕に立ったというような経験は、その出来事が起こってから可逆的に記憶を編纂してしまった結果の記憶の改ざんではないかと考える余地もある。
もう1つは、これは非現実的だが、パラレルワールドの様な別世界にトンでいるという考え方。
夢の分析についてはユング先生の本を読めば色々わかるので割愛するが、集合的無意識としか理解し得ないような夢の中での行動様式の普遍性(つまり世界観として破綻していない)と現実(と思っている)世界では絶対ありえない激しいストーリーを連続ドラマのように毎晩のように体験すると、これがただ記憶が作り出した断片とは思えない節がある。
私はこの世界で夢を叶えてはいけないと、もしくは叶えようと努力する敗者を演じるしかないと考えている。
方向性は夢に向けながら、達成はしない。
その様子を周りの方からは真面目、努力家、優しいなどと評価していただけるので敗者でいることに甘んじてしまう。
しかしこのままで良いのであろうか。
そして眠りにつくことで表面化する世界では、反動で破壊的、猟奇的、性的衝動が強い。
双極性障害のせいなのかその薬の副作用なのか、記憶が夢と現実と曖昧になることが多いため、私は罪悪感や無意識下の暴力性が露呈しないかいつも不安を感じている。
どうか夢と夢が混じりませんように。
ところで、なぜ夢が希望の夢と就寝時の夢と同じ読み方をするのでしょうね。