Metamorphosis

躁鬱日常変化の定点観測

病み上がりセンス

今日は体調が回復してきたので月曜日ぶりに駅周辺まで歩いて出かけた。

寝込んでいた3日ほどで、町の匂いはすっかり衣替えしていた。

 

 

最近寝ながらアニメを見てる。

今日はRe:ゼロを最終回まで見た。そして今はロボティクスノーツを見始めた。

他にも、ガールズアンドパンツァー、夏目友人帳パトレイバーを1話だけ見た。

回を追うごとに先が読めなくなり引き込められるような展開は、普遍的ではないのだなと感じた。

最後まで見続けられる作品は少ない。

 

過度集中気味である。

体調が悪いからって、全く洗濯しかやっていないものだから、過度集中を理由にして自分のやりたい事だけをやっている。

風邪も理由にしている。

 

そのため、見終わった後には、急に現実を感じてちょっとした絶望感に落ちる。

デイケアで習ったところの、「成果と報酬の設定」を思い出した。

やりたい事を思い浮かべた時に、それはどれくらい実現可能か、それを達成したらどれだけ幸せを感じるか、達成に伴う代償は何か、そのデメリットも踏まえてやりたいか、失敗した時はどうするか、などなどやりたい事のメリットデメリットを挙げてそれを踏まえた上で実行すると、やりたかった事はより多幸感を感じ、罪悪感や背徳感を感じにくくなる。また、やりたくない事はどうしてやりたくないのかを整理しやすい方法だ。

 

いちいち考えていては追いつかないけれど、私は自分のために何かする時、時間を使うには大抵罪悪感や背徳感を感じてしまうから、それを払拭するために良い方法だと思う。正論でいくなら。

 

正論で行くならとあえて言うのは、自分が双極性障害を持っている事を考慮しないといけないと言う事だ。

目標設定をするときは大抵躁状態か、少なくとも鬱ではない状態だから、鬱の自分にとっては達成しにくい目標となることが多い。往々にして多い。

計画性を持って長期取り組みたい事柄や、2手3手では達成できないような複雑な事は鬱の状態でもできるように考慮したい。

躁鬱の波は、私は、人知を越えた波模様を見せる。

どんな時でも達成できる目標なんてないんじゃないかと言うくらい、躁の時の支離滅裂さと鬱の時の生きづらさ、絶望感、恐怖を繰り返していると、体も頭も麻痺してきてなんだかもうよくわからなくなっていってしまう。

「そもそも」「ところで」「意味は」

なんて頭に渦巻いてくると、もう抜け出すのが難しくなってくる。

 

やりたい事の罪悪感回避の話から、躁鬱の目標設定の話にすり替わってしまった。

 

こんな風に書けるのは、躁鬱中間だからなのかもしれない。

躁でもない、鬱でもない、第三の男(モノクロ映画じゃないよ)

第三の男は公平中立的な考えをできると思うけど、極端な状況に弱い。

その状況において躁状態鬱状態どれで対応すべきか、生まれてから今までの経験で自然と会得しているのかもしれない。

 

 

今日は、ブログが書けるまで回復した。

自分の体力が戻ってきたから、多少頭も回るようになってきた。

鼻と目が敏感で、音も繊細に聴き分けられる状態になった。

(夏の夕暮れは、生ゴミの匂いが目立った)

食欲が昨日より戻ってきた。

 

休みを取りだんだんと回復してきた。

今日はみいとメッセージでやりとりできたのも心の面で良かった。最近ずっと心配しているから心境を聞きたかった。

 

こう在りたい。と、願うならばそのギャップを同時に感じ苦しい。しかしそのギャップの間には道ができる。それは最短距離を通っていなくても、こう在りたいと願い続ければその差は縮めていけると信じている。

 

薬が効いてきて概念的な話ばかりになってきてしまった。

まだまだ今日は書きたいが、書き足りない気持ちは明日に残しておくとしてこれくらいにしよう。

 

今日はここまで。

おやすみなさい。