鬱転なのかも?支えられて書く。
つらい。
身体中に小さなつらいがまとわりついてる感じ。
私は自分に罰を与えた。
そのせいでまだ頭がズキズキ痛い。
友人みい(この前MJが出てきて「友人」が複数名称になったから呼び方を変えよう)が声をかけてくれて吐き出すように泣いてしまった。
一頻り話を聞いてもらい原因について考えた。
ちょっとした事が重なっていったのかなと思う。
自分のツイートを遡ると、昨日は妄想が多くて頭が過度に集中していたのだが、考えすぎたために将来への不安が高まってしまったのが原因だと思われる。
その後死んだ友人の事思い出したり、ネガティブになっていったが、妻が帰ってきたためネガティブであるのをずっと隠していて、寝た後夜コンビニ行ったり、深夜に衝動的になった。
記憶が断片的で色々書いたりしていて、朝起きてから自分に呆れてさらに落ち込んだ。
そして会社から傷病手当についての手紙が来てたいそう落ち込んでしまった。
分析してみるとこのような感じ。
自滅、そして、お金がない。
金欠は今までの経験上かなりきつい精神状態になる。
自分を責める。
今までのお金の使い方も後悔してしまう。
かといって、今は休職中だから働いてはいけない。
何か売るか。
気力が無い。
節制しなければ、考えも、行動も。
それこそ躁鬱のコントロールに繋がるのかも。
つまらないと思っていて嫌だけど、一定のリズムで、極端なこともせず、静かに暮らすべきなのかもしれない。
みいの言葉を思い出す。
いつもいつも安心感のある言葉と間。
危なっかしくも、見守りたいような存在感。
私は支えられていると思う。
そして「脳」の方、ありがとうございます。
今日は書くのをやめようかと思いましたが、おかげで書き続けることができました。
私は今日から鬱に入るのかもしれない。
そんな時、周りに支えられていると実感するし、ありがとうと言う機会が多くなる。
当たり前の事ではない。
自責が止まらないけど、今日も頑張ります。
そしてこのブログには読者の方がいる。
たとえ一人でも読んでもらえる限り、モチベーションを維持できる。