レインボーテクスチャ
今日もデイケアを休んでしまった。
熱を計ったら発熱していた。
体調が安定しない。
今日は気持ち的には結構良かったのだけれど、体がついて行かなかった。
久しぶりにみいと話した。
純粋に嬉しかったし、声を聞いたら安心してしまって聞きたいことが沢山あったのに聞かなくてもよくなってしまった。
それは良いことなのだと思う。
地道な日々を続けないといけないと分かっているのに、先が見えなくてどこに向かっているのか時々わからなくなる。
全てがどうでもよくなると、健全なモチベーションというものがわかなくなってしまう。何を使っても自分を釣れないというような感じ。
でもその渦中にいるとそうなるだけで、時間の経過とともに、または体調の変化とともにモチベーションは生まれてくるはず。
その一つが死だと思う。
究極的に有限であるから、だからこそそこに対極的な生のモチベーションが存在するはずだ。
ああ怖い。こういうこと考えると怖い。
でも、存在するはずだ。
究極的な有限である生のモチベーションというものが。
それをパワーに変えられたらどんなこともできるだろう。良くも悪くも。
生と死については、今は考えるのをやめておこう。
もうちょっと体が元気な時に考えよう。
とにかく、私が言いたかったのは、すべての事象には表と裏のような2面性があるということ。正のベクトルがあれば負のベクトルがある。その逆もまた然り。
否、物事には何面性もの角度切り口があるはずで、それは観測者のアンテナ(または眼鏡)次第ということだ。
しかも折り重なった部分は虹のように見えるかもしれない。
考え方や見方において、平面的に、極端には考えないようにしたいものだ。
今日はここまで。