無意味がなくなった世界
全ての物事に意味を付加して行きすぎて、無意味がなくなってしまった未来の世界の話をしよう。
無意味こそ価値があるという価値観。
世界は意味の飽和状態を迎えていた。
新しいものが発見されれば、機知に富んだものが意味を見出し、情報はすぐに共有され(時に真実とは関係なく)意味が付加されてしまう。
無意味すら意味があるのだから最早意味の無いものなど無い。
意味は利便性のために普遍的なものに淘汰され、それは極めて薄い厚みの世界になってしまった。
それは色か音
それは質量
それは時間と座標
に還元されうる等価交換。そう、等価交換できる価値に集約された。
世界の全地層は調べ尽くされ、考古学者は一定の結論を出し職を失った。
それと同時に、宇宙についても探索を終え、未来において何が起こるのかも全人類、いや、全宇宙が知り、全ての意味がわかってしまった。
そんな世界で暮らしていてやっと見つけた。
誰にも知られてはいけない。それは相対的に比べるような概念では無い。
徹底的な無意味を見つけた時、それは誰にも教えるべきでは無い。
何故ならばものの意味を二人以上で比べてしまうとそこに優劣、価値が生まれ、意味も生まれてしまうから。
また、「無意味」を見つけてしまうと、私自身によってその意味が見出されてしまう。
よって「無意味」を見つけるのは実に難しい。
でも大丈夫だ。この意味がわかるのは私しかいない。
そう思っていた。
そう思いたかった。