「3つの悩み」
私の悩みは大きく分けて3段階の深さに分けられます。
1.対人関係、人間関係の悩み
2.双極性障害者としての悩み
3.タナトフォビアの悩み
1.対人関係、人間関係の悩み
私の実家は所謂毒親です。父親が双極性障害1型で自己破産した経緯もあり、父と祖父が一つ屋根の下で絶縁状態でした。
今から考えれば母が自殺未遂したり、父から殴られたりACになる素養はここから来たのかもしれません。ちなみに小学生の頃妹を窒息させ殺しかけました。
学校では八方美人でいたため、ヤンキーともオタクとも仲の良いクラスの派閥にどこにも属さない過ごし方をしてきました。
そのおかげか部活の部長やサークルの代表になることも度々ありました。
しかしながら、悩みのタネとしては、様々な人の意見を肯定しすぎて、いつも折衷案を出すことばかりしてきたため、新卒で会社に就職してからは心因的疲労困憊状態が慢性化しました。(大学までは、ある程度学校もバイトも好きな人間関係の中で過ごすことができたのですが、会社ではそうはいかないですね。)
私は人に悩みを相談することを極端に嫌います。そして、非常に自己肯定感が低く(私はゴミ)、相手の都合に合わせすぎます。頼まれた仕事はノーと言えません。
人間性の低い上司にぞんざいな態度を取られたり、暴力的な態度を取られたり、こちらの意図したことが存外無駄であるということが往々にしてあります。
結局、会社の人事異動で新しい部署になってからというもの、職場の誰にも心を開くことができず。毎日一人で昼ご飯を食べ、悩みも誰にも言わず、休職してしまいました。
今の家庭内については割愛します。
2.双極性障害者としての悩み
私は、2014年に双極性障害2型の診断を受けそれからずっと服薬し一度は寛解しかかりましたが、人事異動をきっかけにまた休職してしまいました。
休職したきっかけは1で述べた人間関係ですが、その根本にはこの躁うつが原因にあります。
躁転時に「できる」と言ったことが、鬱転してできなくなったり、躁転時にはめちゃくちゃな野望(例えば宇宙事業に進出したい等)を声高らかに言っては鬱転し極度に落ち込んでいました。
躁転、鬱転している時に信用や人間関係を失いやすいです。
その結果私の友人と言える心の相談をできる人は片手で数えるほどとなりました。
3.タナトフォビアの悩み
自分はいつか死ぬ。
その単純な、ごく自然な摂理を受け入れられないのがこのタナトフォビアです。
この超暴力的な残酷な恐怖感からは逃れることができません。
日中は様々なやることがあるので気を紛らわせているのですが、風呂に入る時や夜遅くなるとパニック発作を起こします。
想像できますでしょうか。眠ることが怖いんです。
自分の肉体を見ると、生物学的な生理反応を感じると、怖いんです。
例えば自分の手を見て
やめます。
今この記事をスタバで書いているのですが、家で書いていたら間違いなく発狂していました。
この逃れられない恐怖からいかに気を紛らわすか日々悩んでいます。
キルケゴールの死に至る病やどこかの哲学者が書いていた「この世は蜜のようなものだ」という言葉がしっくりきます。
哲学書は読みすぎて一度精神崩壊しかかったので、もう少し体調が落ち着いたら読み直したいですね。
以上です。