思考実験:「有限性の美」
「有限性は美なるか」について考えている。
限りあるものや、儚いものに価値が見出される事例は多いと思う。
例えば、珍しい自然現象や、石油、黄金といった限りある資源。
これらは常に人を惹きつける美しさや可用性を持っている。
(あと34分)
特に黄金については、古代インカ帝国の黄金のマスクのように装飾としての価値の他、伝導体として現代もマイクロプロセッサに欠かせない存在だ。
必要性は、美であるか。
これについては人間の「正しさ」についての価値観とニアイコールと思っている。
生きるために必要なことを、人間は行ってきたし、今の社会もそういう仕組みになっている。
人が生きるために必要なことは、「正しいこと」として価値観を迎合させられる。
そして、美しさとは人が判断をする上で非常に高度な意思決定プロセスを内包していると感じている。
カントでいう理性ではなく、悟性の部分。
故に、正しさと美しさはニアイコールと考えている。
時間はどうだろうか。
時間は正しい価値基準があるだろうか。
何事もいつか滅ぶ。
有限であるからこそ、時間という区切りの概念がある。
有限だからこそ時間を大切にとか、時間を守ってとか言われる。
私はまだ時間の価値を本当には理解していない。
(あと24分)
もし、私があと20分ほどで死ぬとしたら、何を優先するだろう。
そんなことを考えている。
お金も、物も、どうでもよくなるだろう。
大事な人に、忘れてほしくないと思う。
私は何も残せなかったから、と、今までのことを振り返る。
有限の時間の話に戻ろう。
時間は往往にして有限だ。
そしてその価値は時と場合によりとても変動する。
不変の時間の価値は無いと断言する。
ここで考えを転換する。
「不変は、無限になるか。」
時間は変わる。時代も変わる。物も変わる。
そんな中、全く変わらないものは自然的ではなく異質であり、それが不変であればあるほど世界の常識から逸脱していく。
そこに時間の概念が通用しないモノがあったとして、それは最早無限的存在なのではないか。
と、結論づける。
無限は美であるか。
無限は正しい価値だろうか。
有限の美と、無限の美どちらが美しい(または正しい)か。
この答えは出したところで無意味だろうし、ケースバイケースと言われれば仕方がないけれど、アーティフィカルインテリジェンスの開発においては重要な価値観だと思っている。
無限の存在であるAIに対して、有限の存在である人間が何を優先すべきと教えれば良いのだろうか。
そこには、科学、化学、生物学、哲学、宗教学、倫理学といった叡智を集約しなければならない。
無限の存在が優先された時、人間は相手が機械であっても従うのか?
SFみたいな話になってきた。
(あと10分)
お気付きの通り、ここまで時間を計りながら文字を書き進めてきた。
残りの私の時間を使おう。
ソクラテスは、死刑になり毒をあおってもなお死ぬまで哲学的な議論を仲間たちと交わしたそうだが、私もそんな最期を迎えられたらどんなに良いだろうか。
シュレディンガーの箱は開けるべきだろうか。
パンドラの箱は開けるべきだろうか。
私が開けられる立場にあるなら、開けるだろう。
例えどんな未来があったとしても、人類は進歩または衰退をするべきなのだ。
数億年後に人類がまだ生きていれば、何を思うのだろうか。
この文章が何かの拍子に数億年後の未来に届いたとして、何を思うのだろうか。
西暦10,000年なんて先を考えてる。
地球誕生から46億年と言われているが、時間の尺度としては1時間というのはあっという間。
逆にF1レースのコンマ数秒の違いは些細だとしても大きく意味が違う。
(のこり1分)
そろそろ潮時だ。
有限性は美であるか、という問いに対して、私は「そうでありたい」と答える。
つまり、希望だ。
以上。